「下眼瞼の匠」として第145回日本美容外科学会総会・学術集会(JSAPS)の特別企画でご指名、推薦をいただきました。
会場は、札幌の京王プラザホテルでした。
以下、抄録(発表の要約)になります。
私の下眼瞼美容外科の経験
~大学病院の後遺症治療医から銀座の“目の下”美容外科医への変遷
私の下眼瞼手術の経験は、ご多分に漏れず大学病院での形成外科研修において頬骨骨折や眼窩底骨折での睫毛下切開や経結膜切開のアプローチから始まった。そして入局5年目くらいに美容後遺症外来の担当を受け持つことになったことから本格的に目の下の再建治療に携わるようになった。ちょうどアクアミドなどの非吸収性フィラーによる後遺症症例が増えてきた頃で、特に目の下の難治性症例が多かったからだ。詳しい指導医など誰もいなくて、手探りで治療を始めて少しずつ患者満足度の高い治療ができる様になっていった。ミッドフェイスの注入異物除去はどこでも治療を断られる人が多く、やがて私の外来は治療難民達で溢れかえることになる。
報われない事も多くつらい仕事であったが、誰もやりたがらない治療を15年近く続けたおかげで、結果的に圧倒的な症例経験を積めた。下眼瞼の注入異物除去などというニッチで面倒くさい代物を生業にしていると、ハムラみたいな手術、特に初回freshな症例など気楽で仕方ない。大学病院が長かったので自発的に広報活動をすることも無かったのだが、外勤先などで美容の手術を受けてくださった方の口コミの輪が広がっていたのか?昨年大学を辞して銀座で開業した際は目の下の若返り手術希望の方が全国から来てくださるという大変ありがたい状況が生じた。自分自身がいつの間にか「目の下」でブランディングできていたことなど知る由もなく、こうやって来て下さる患者様方がクリニックの方向性を造って下さるのだなあと心から実感した。開業後は遅まきながら人並みにTwitterやInstagramなどのアカウントも取得して、のんびりマイペースで情報発信していたら更に患者は増え、すっかり銀座”目の下”美容外科クリニックとなっている。まだまだ匠などと呼んで頂くには分不相応であると自覚しているが、大切にライフワークにしていきたいとは思っている。
主に下眼瞼で現在メインで行なっている仕事、①注入異物除去手術と②私のハムラ法について最新のところをお話させていただきました。
発表後に声をかけてくださった多くの先生方、本当にありがとうございます。
頑張って準備した苦労が報われますし、大変はげみになります。
気がついたら周りがそう勝手に呼ぶくらいのものでしょう。
ましてや自称なんてするものではないですよね、この業界はいろんな自称ナントカが多すぎると思いませんか。